グリコ森永事件のテープの声(罪の声に絡めて)

映画化された『罪の声』が公開直前らしい事にさっき気付いたので。
コロナと出演予定俳優の問題でずっと先に延びてるだろうと思ってたから、普通に今年公開されるというのは意外だった。

まずは、昔からよく聞く噂「劇団の子役に台詞として喋らせた」「その辺歩いてる子供にお菓子渡して喋らせた」
といった類いの説について考える。
テレビのヤラセの様な話だが、おそらく実際そういう業界を揶揄したいという動機によって広がった説なんだろう。
事件の推理のはずが、強い関心がある業界の裏側の方が謎解きして暴いた感覚が得られるから、という
子供的な心理に引っ張られる事でまかり通った都市伝説だといえる。

この説の筋違いな所は「どうやって子供の声を録音して用意したのか」という観点にあるが
「なぜ子供の声なのに誰なのか分からなかったのか(分からないのか)」という事後的な観点からは、
犯人の動機や思惑にまで迫る事が可能なのではないかと考える。

勿論、警察が全ての情報を出している訳ではないので、当時的には箝口令が敷かれて一般人側だけが
全く分からなかっただけ、という可能性もゼロではなかったのだが、その後にネットが普及した事によって
そういったレベルの箝口令は有り得ない事がはっきりした。
ネットにおいて具体的な地名や学校名すら浮かび上がらせない、などという箝口令は不可能だからだ
(「親戚の知り合いがあの声の子供を知ってる」だとかいう類いの噂ではなく)。
この事件は、犯人も行政(警察)もネットが普及する未来を全く想定していないという事が、
実は後々になって肝になっているし、そしてそれが現在進行形で謎の解明に影響を及ぼす可能性が有り得るとも考える。


80年代でも2020年でも"把握されていない子供の声"が日本に存在する、というのは俄には信じ難い事である。
すれ違う子供や、劇団員の子供の中に、学校(や保育園・幼稚園)で声を把握されていない子供が
紛れているなどとは想像もできないのが実際だ。当時から(よりタブー的に)存在していた登校拒否児まで含めて。

ここで重要なのは、把握するのが"本人"ではなく、周囲にいる多数化した"同級生たち"であるという点である。
中世以来、少数のままの大人たち(職員・教員)でも本質的にはない("同級生たち"の醸成装置ではある)。

つまり、劇団員やお菓子を貰った子供本人が自覚しているかどうか、喋らされた台詞を忘れていないかどうか
、は全く関係がないのである。
どれだけバレバレでも開き直って逃げられるテレビ制作者とは違い、これの犯人は
全くミスが許されない中で、そういう前提状況まで含めて徹底的に計算し尽くして材料を選んで実行している、
という事がここから逆説的に分かる。

これ程に相互監視状態が徹底された近代化以降の日本において、子供の声という素材は
極めて特殊な証拠になっていると言える。
大人の声ならまだしも、子供の声なのに誰だか全く分からなかった、という事は究極的な意味を持ち
それが重大なヒントになる。


いわゆる"普通の学校社会"の中にいなかった事は自動的に確定している訳だが、といって
過疎地の分校にいたとも思えない。
そういった僻地は近代化以前の規模の集団が残っていて、村ぐるみで隠蔽する事は確かに可能だが、
ここまで激減していると、行政が頭数レベルで数えて把握する事が逆に容易になる。
グレーな領域なので明確化される事はないが、ここまでの事件が起きたという事で
警察が一人一人レベルで確認した可能性も十分に有り得る。

これは登校拒否児にも同様の事が言える。
一年生の初日から一日たりとも登校しない筋金入りですら"周囲に声を聞かせない"事は可能でも、
逆にその見返りとして存在が強烈に際立つ形にされる。
無人の机と椅子を置いて名簿の名前を呼び上げる事で名前を周知徹底させる対処法が、
恐らく正当なマニュアル扱いになっているはずだ。
こうやって鼠一匹逃さないのが、日本の近代学校社会の本質であり目的でもある。

レディジョーカーにみられる障害者の子供にも、同じ事がある程度以上あてはまる
(レディジョーカーも"普通の学校社会"内には存在し得ない、という分析に行き着いていて、
具体例自体にはその程度の意味合いしかないのかも知れないが)。


つまり、現在の様なハイテク環境を活用した物理的な収集・管理が不可能な当時であっても
大多数の相互監視体制と、特定少数の個別確認で"日本人の子供の声"は既に100%網に掛かっていても
おかしくないレベルに達していた。

外国で録音、大昔に録音、といったウルトラCレベルも録音テープの詳細分析の結果からしてまずあり得ない。

アメリカンスクールやインターナショナルスクールなどの"日本の中の外国"は有り得なくもないのかもしれない
(土地柄などの印象などからして、実質的にはかなり薄いと思うが)。
同様の観点で、朝鮮学校にいたという噂もよく出てくるが、こちらは有り得ない。
百歩譲って、時効までなら箝口令が機能する可能性もあるかもしれないが、そうならば
時効成立以降は、逆に、絶対に誰かが自慢気に暴露する事になるからだ。

即ち、「あのテープを知らない筈がない日本語環境の烏合の衆の内側」に紛れていた可能性は無い。
日本の"普通の学校社会"の網からの抜け道としての機能を、組織として果たした可能性ならあるのかもしれないが。
つまり、書類上だけ通学している事にして、実際の生徒たちからは完全に存在を隠すという様な形での協力である
(実際にそんな事が可能で有り得るのかは分からない)。


何れにしても、あのテープの子供は、本質的な意味で"日本の学校に行っていない"
或いは及び"行かない"子供だった可能性が高い。
これこそが、あんなテープを作成して広く流布させた動機であり、またそれを逆利用しようとした
思惑にも繋がると考える。

仮に"普通のグリコ森永犯(大人)"なら、まずそもそも自分が犯人であるなどという事件の重大機密
自体、幼い子供に明かしたりはしない。
本質的に信用できないという事以上に、今まで述べてきたように"日本の子供"が学校社会に
毎日監視される義務を負っているという状況が、強烈な抑止力として働くからだ。
究極レベルに重大な秘密を隠し続けるという条件を背負わせた上で通学させる、などという発想は有り得ない。

しかしこの事は、逆に、その大前提が外れた場合にはそういった作用も全て逆方向に働くという事でもある。

つまり、学校に本当に全く行っていない(行ってなかった)、というマイルドな秘密を"元々"抱えている子供
に対して「グリコ森永犯の子供である」という究極的にハードな秘密の方は全く教えずに隠し、
その負担を課さないという、二層構造的な状況である。
犯人からすれば、こういう立場の子供を抱え込むというのも、前者と同様に絶対に避けるべき有り得ない環境である。
本当に幼い事件当初の頃までは保護者権限で抑え込めるだろうが、時効までの15年20年もの間、
誰とも接触させずに育てるというのは非現実的だからだ。
思春期以降に、「絶対に明かせない程ではない秘密」である学校に全く行っていないという告白をして、
そこから足がつく、というのがほぼ自明である。

犯人(の一部)は、予め"全く学校に行かせていない(行かせる予定がない)"子供を抱えた状態から、
事件を起こし(に加わり)、その特殊環境における対処として、事後的にあのテープの作成と流布に至った、
という流れが自然だろうと考える。
つまり、あの子供を、犯行グループ内でも特別有名なカリスマ的存在に仕立てあげる事で、
そういった周囲状況・世間状況を作り上げる事によって、
幼い子供本人に対して強烈に隠蔽協力をさせるしか道がなかったのであって、
愉快犯的な余裕など全く無かったと思われる。
世間向けではなく、声の主の子供本人向けのシビアな目的が本質である。

これがテープの動機であり理由だ。

そして、この子供本人に対する内向きの動機に付随して、狭い意味での外向きの動機も練り込まれていた
のではないかとも思える。
つまり、"広い意味での犯行グループ内における上位権限者"に対して「ウチは子供抱えてて大変だから、
色々と待遇計らってくれないと困る」というアピールを、半ば内部テロとして行った結果なのではないか。

あのテープを警察(世間)に渡す前までに、子供と共に海外に脱出しておけば、
「今から成田に戻ったりしたら当然捕まる(なので海外居住特権を寄越せ)」という意味になる訳で、
大胆かつ巧妙な高飛び、或いはまた場合によっては、犯行グループからの一方的な離脱、
の為の武器として機能し得る。


以上の様な推測で、あのテープの謎に対しては個人的に納得をしているのだが、『罪の声』は
「普通に育ったあの子供本人が全く憶えていなくて、大人になってから親の遺品のテープによって初めて自覚する」
という設定なので、根本から全く違っていて、こちらから見ると荒唐無稽に近いほど
リアリティに欠ける設定に感じられる。
しかし、著者のインタビューにもあるように、「近い世代の作者として、あのテープの声の主の立場から
事件を振り返る」事が主眼なので、"被害者"である声の主を主人公にして読者と同じ目線で
事件を解読させていくという都合に合わせ、敢えてそういう設定にしたのではないかと思う。
主人公以外の"声の主"、の方を対照的に極端なまでに悲惨に描くことで、両極の間にあるリアルな事実
を想像・共感させようという狙いなのかもしれない。
実際の事件でも、「音声テープの使用による"声の暴露"」が時間差を置いて度々行われている事を考えれば、
内部テロの仕組みと狙いに勘付いて後追いした誰かが真似た、という流れがあったと考えるのも
自然なので、その見返りとして得られた便益の差も含め、犯行グループ内に今も様々なギャップが
しこりとして残っている、という観点もそれなりに妥当かもしれない。


犯行グループの年齢構成(年齢幅の広さ)を考えれば、あのテープの声の主も含めた子供たちが
最後まで秘密を知り続けて、暴露する権利を結局のところ"相続"する事になるのが自然であり、また
初めからそれが自動的に運命でもあったので、彼ら目線からの親たち犯行グループの大人
に対する批判を小説として描いて、広く世間との間にある種のシンパシーを築こうという狙いは、
確かに意義がある様な気もする。

大人たち側の寿命や、逆に子供たちの子供の年齢を想定すると、永久に謎が明かされる事がないよう
に思えるこの事件も、寧ろ、これから本番の時期を迎えるのかもしれない。

また、これとは全く逆の露骨な方向性で、AIによって技術的に実際に発見される、という様な
可能性も最早否定できない時代になってきている。
80年代当時には想定できないレベルまで技術が進化した事で"子供の声"という素材の持つ意味が、
またしても既に激変し始めているのだ。

究極的に有名な"声の主"である彼ら彼女らは、こういった技術進化に対しても人以上
に敏感になっているかもしれず、今までにはなかった板挟み感覚を覚えているかもしれない
と想像する。
スポンサーサイト



プロフィール

mori

Author:mori
FC2ブログへようこそ!

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

FC2拍手ランキング

ジャンルランキング

[ジャンルランキング]
政治・経済
5832位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
1400位
サブジャンルランキングを見る>>

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR
FC2 Blog Ranking